エストニアとリモートワークについて私が知っている二、三の事柄

エストニアと開発をしていたら、突如オフィスを失い、リモートワークになったCTOの日々のメモです。

ジョナス・メカス×今福龍太

引用元
http://www.aac.pref.aichi.jp/aac/aac17/aac17-4mekas-2.html

ジョナス・メカス × 今福龍太
 
 4月4日(木)、リトアニア出身でアメリカ実験映画を代表するジョナス・メカスが、三度目の来日に合わせ愛知芸術文化センターに来館、文化人類学者の今福龍太と対談を行った。本文はその採録である。また、当日は引き続き観客との質疑応答が行われ,メカスの映画撮影の技法などについても話が及んだ。

 なお、対談にさきがけ上映された最新作を含む映画は以下のとおり。

(1)“Trip to Millbrook(メルブロックへの旅)”1967年 10分
(2)“Imperfect Three Image Films(不完全な三つのイメージ)”1995年 5分
(3)“Happy Birthday to John(ジョン・レノン、お誕生日おめでとう)”1972〜1996年 25分
(4)“Zefiro Torna or Scenes from the Life of George Maciunas(ジョージ・マチューナスの人生からの光景“ 1991年 35分
(5)“On My Way to Fujiyama I Say…(フジヤマへの道すがら、私が見た…)”1996年 24分

今福●僕はいつも思うんですが、メカスさんの映画に出てくる食べ物や飲み物は,もう本当においしそうに見える。これはものすごく特別のことに思うんです。いくら色がきれいでも、普通はやっぱり食べ物のようなものは無味乾燥という形で映像化されていることが多い。しかし、メカスさんの映像はいつも味覚や嗅覚に訴えて,食べ物の匂いがプンプンするんです。これは日本の映像(「On My Way to Fujiyama I Say…」)だからというわけではないと思います。写されたビール瓶なんかもたくさん飲めばいかにも酔うだろうなという感じがするわけです。一般的に映像は目という肉体器官を使って撮ると思われているのですが,それ以外の感覚、つまり味覚、嗅覚、もっとデリケートな身体感覚……そういうものとメカスさんにとってのフィルムとはどういう関係にあるのでしょうか。

メカス●撮影にはボーレックスというカメラを使います。目でみたものをカメラを使って撮影するのですが、ただ目だけでなく、頭も,心も,細胞の一つ一つ,体の全てを使って撮影をしています。それに加えて、私の記憶の全て,“忘れること”の全ても撮影には関わっています。それから、撮影をする瞬間は非常に凝縮された瞬間であると同時にすっかりリラックスした状態であります。(*携帯性にすぐれ、コマ撮り等の撮影に適した16?カメラ)

今福●写真とか映像というのは,常に、記憶のための手段として様々に利用されてしまう。メカスさんの映画も表面的に見てしまうとこれは一つの個人的なノスタルジックな過去の追憶のような記憶,ロマンティックな動機に基づいている様に見えるのですが,お話をしていてどうもそうじゃないように感じるんです。実はむしろ忘却、忘れ去られるものとか,忘れ去られたものがそこに写し出されている。メカスさんは記憶よりは忘却,忘れるということによりある種の親近感を感じているような気がするんですが……。

メカス●私は本当に自分が好きなものを撮影するようにしています。私にはなぜ自分は撮影するのかということはあっても、なぜそれを撮るかは分からないんです。記憶したものを撮るということは、それは意識的にそれをすることになりますけど、私の撮り方というのはもっと直観的、本能的,その場のものに合わせて瞬間的に反応して撮っていますから,記憶とかを特に考えて撮影することはあまりありません。ピエーロ・デラ・フランチェースカが天使の絵を描いていますが、本当はこの天使の美しい顔というのは百年戦争のまっただ中の実に悲惨な時代に描かれたものなんです。ですから現実とはまるで違い,フランチェースカは人々に対してこの本当に惨めな現実は人間性の本来の姿ではなくて、この天使のような素晴らしいものがありえるんだということを,その自分の夢をそこに投影して描いたのではないだろうか。だから必ずしも、この場合には絵画ですけれども、映画を作るにしろ、音楽を作るにしろ、現実との何かしら具体的なつながりが必ずあるわけでもなくて,様々な要素が創作に向かわせることがあるのではないでしょうか。ですからフランチェースカは決して現在とか過去ではなくて未来を描いたのでしょう。

今福●創作,創造、何かを作り出す時の意識・無意識という問題。さらにいえば意志ですね。何かを撮ろうとする意志,これを私たちはことさら強調して,あるいは過大評価するところがあると思うんですね。メカスさんの映像の何ともいえない親しさはそういう“攻撃的”というとおおげさですが、何かを撮ろうとする強い意志を感じさせるというより,メカスさんとその周りの世界との間に別の原理が働いていて、ある特定のものがメカスさんによって映し出されていく。それは何か我々の単純な創造上の意志とは違う気がします。偶然というか事故,無意識とかいい方は色々あると思うのですが,この“自由意志”というものはメカスさんの中ではある種の“無意識の世界”とすごく強く結びついていると思うんです。それが恐らくフィルム・ダイアリー、映画日記,日記映画と呼ばれているスタイルのことだと思うんですね。あれはそういうスタイルとしてメカスさんが何か意図的に作り出したものではなくて、恐らく,ああいう形でしかメカスさんは現実と出会うということがないのかもしれない。

メカス●私の映画日記といいますか、そういうスタイル,形式がどうして出来あがってきたかということは自分ではあまり考えたことがないのです。日記映画と今福さんはおっしゃいましたけど、私はノートブックに何でもスラスラ書いていくような作り方という言葉を使いました。ちょうどそういったノートブックに,特に最初にきちんと枠組みを設けていくつかのものをそこに沿う様に集めていくのではなくて,何が入ってきてもかまわない様に,ノートをぱっと開いた様に,様々な断片を自由に取り込んでいくものの作り方が60年代の半ば頃に,映画に限らず詩や文学や他の分野でも起こっていました。それは考えてみるとビートジェネレーションの提起したものと,結びついていたのかもしれません。また少し遡ると、ウイットマンが記憶とか断片とかを自由に取り込むということをノートに書いています。小説家のマックス・フィッシュも似たようなスタイルで書いていますし、ノーマン・メイラーも中期の作品はノートにただただ書いていったように見えます。ケルアックの「ON the ROAD」(路上)はただずーっと旅の様子を書いているけれども,長いノートブックを最初から埋めていった,そんなスタイルです。そういった日記,ノートブックの様にものを書いていく作り方が芸術の色々な分野でちょうど同じ時期に起こってましたから,そういったものがなんとなく雰囲気としてあったのを肌で感じて,それを取り入れていった。そうして自分の日記映画のようなスタイルが出来ていったのかもしれません。このような形式が生まれてきたのは必要性があったわけで,それは,その当時出てきた表現されるべき内容がとてももろくて断片的で,それまであった非常に制約のきつい構成にはとても入りきれるものではなかった。ですから形式をもっとゆるやかにして多くのものに開いたような形の,ノートブック,日記の様なスタイルが必要になったんでしょう。日記映画の始まりを考えてみると,そういうところに行き着くような気がします。

今福●歴史的な観点に立つというか,ちょっとおおげさにいえば―映像―動く映像というものを人間が獲得してちょうど百年たったわけですけど,その中で,とりわけメカスさんの映画が、映画という個別のメディアだけではなくて色々な時代の文学的な,アーティスティックな考え方とやはり連動して展開されていたことが今のお話ですごくよく分かると思うんですね。単純に映画の歴史というものの中にだけメカスさんの作品を置いたのではよく分からないもの,というのがそこにあるんだろうと思います。もう一つだけいわゆるノートブックあるいは日記映画のことで伺いたいのですが,メカスさんの映画を見ていてそこに徹底した個人性,徹底的なインディビジュアルというものを感じるんですよね。これはいわゆるプライベートといいますか私的なというのはちょっと違うような気がする。なにかもっと徹底的に人間が集団として,あるいは社会の中の一員として,暮らしていく時のあらゆる煩わしい部分をそぎ落としていって残る一番裸の個人というもの,それをすごく感じるんですね。人間が裸の個人として出会う世界だけがメカスさんの映画の中に写し撮られているような気がする。メカスさんの映画を見ていると家族とか友人に対する日常的な感情をも超えるようなものすごく研ぎすまされた個人性といいますか,我々は実はそういう個人というものをどこか持っているんだろうと感じさせるんです。

メカス●それは私の映画をあまり深く読みすぎているというのか,たくさんのものを見過ぎているような気が少しします。というのは私はあまりにもこの作品が自分の身近にあるものですから,外から見てこれはどうこうと考えるのはとても難しくて,撮り方ですとか技法みたいなことだったらいくつか話すことはできるのですが、本質に関わってくると自分ではどうしてもその距離が取れないので,それについて話すのはとっても難しくて……。人のことはあまりよく分からないし,今生きているということについてもどうもよく分からないなと思っているんですけども,それをなんとか分かろうと思って今そばにいる人や,自分のことや,それから自分が生きていることを分かろうと思って映画を作っているのかもしれません。

今福●(今回の訪問先の一つ)沖縄について先ほどメカスさんは面白いことを僕に聞いたんです。東京とか,前回の来日時に行かれた北海道,これらは男性名詞なのか,そして,沖縄というのは女性名詞なのか,と。日本には男性名詞も女性名詞もないけれども,普通,ラテン語系の言葉なんかですとO{ou}で終わるとだいたい男性名詞で,A{ei}で終わるとだいたい女性名詞であるということが多いので語感として恐らくメカスさんはそういうことを考えて聞かれたんだろうと思うんです。東京とか北海道というのはOで終わっていて,沖縄はAで終わっていますから。それで僕は、そういうことはないけれども、僕自身の感覚でも東京というのは男でしかありえないけれども,沖縄っていうのはものすごく女性的である。と,そういうふうに答えたんですね。

メカス●NAGOYA……?

今福●(笑)……名古屋も女性かもしれませんけども。それでリトアニアというメカスさんの故郷も別に女性なのか男性なのかちょっと伺ってませんがAで終わっていて,明らかに「リトアニアへの旅の追憶」でもメカスさんのお母さんの存在は映画を貫いて最も印象的にあるわけですが,そこにある女性性,女性的なるものが一貫して流れている。リトアニアと沖縄とのつながりについて,メカスさんが行かれた今回の旅で何を感じられましたか。

メカス●沖縄の人々の暮らしは大地ととても近い関係にあって,岩ですとか木,そう行ったものと近しい生き方をしていると思います。これはリトアニアの、現代のリトアニアとすぐには言えませんが,リトアニアの人たちと非常に近いと思います。リトアニアキリスト教を上から押しつけられたような時代があったわけですけれども,それ以前は汎神教,何か人格化された一つの神様がいるわけではなく,万物に霊が宿る自然崇拝の国でしたし、今でもそういったものが強く残っています。一番主な神は母なる大地で,次に雷があって,三つめは火です。ですからリトアニアの家庭では火を絶やさないように常に火を燃やしています。それだけではなく沖縄の人は歌うのも好きですし,踊るのも好きですし,食べるのも飲むのも好きですから,とても身近に,故郷のように感じました。歌うこと踊ることはとても大切だと思います。

今福●メカスさんの映画で人々はいつも踊って歌って,飲んで食べていますものね。


【通訳/木下哲夫,採録・構成/T.E.,写真撮影/南部辰雄】