エストニアとリモートワークについて私が知っている二、三の事柄

エストニアと開発をしていたら、突如オフィスを失い、リモートワークになったCTOの日々のメモです。

partII Cafe au lait

三宮のせいでん本店近くにある喫茶店でカフェオレを飲んだ。店で有線を流すのは店長の趣味として許すにしても、カフェオレに生クリームが入っているのはどういうことだろう。どうも世間の一部では「カフェオレには生クリーム」の誤解があるようである。さらにひどい店になると、生クリームに色付きの薄荷のようなものまで振りかけてあるところがある。これは余計なおせっかいというもので、「カフェオレ」というものは、珈琲と牛乳で作るものであり、生クリームなど入れなくてよいのではないかとこちらは思う。それとも、誰かが本場フランスでそういうものを見てきたのだろうか。
とにかく、カフェオレに生クリームを入れる店は珈琲のことを知らぬ輩が経営しているとみなしてよい。これなら、モスバーガーの泡立ち珈琲の方がずっといいというものだ。また、モスバーガーの泡立ち珈琲に、普通の「喫茶店」がなかなか勝てないことも事実で、モスに勝てないのならば、それは「喫茶店」という看板を掲げた、ただの「休憩所」である。あるいは世間で、喫茶店というのはそういうものだとさらているのかもしれない。
これなら三宮高架下にあり、木の机がすごく目になじみ、おまけにランチも珈琲もおいしい某所にすればよかったと後悔しきりである。

SHINSHIN-DOで、吉本隆明の『親鸞復興』(春秋社)と、笠井潔の『国家民営化論』(カッパブックス)を買う。吉本さんの思考のスタイルは、以前の日記でも評価させていただいたが、その考えはこの本を読んでも変わらない。やはり、戦後日本が産んだ数少ない「ほんものの批評家」である。
倉橋由美子『酔郷にて』(ちくま文芸文庫『反悲劇』所収)も読みすすめる。「語り」に関する自覚的な姿勢は、やはり賞賛に値すると思う。「自在に動く時間意識」、巧妙に、そして謙虚といってもいい立ち振る舞いをする「私」という話者のあり方に注目。