エストニアとリモートワークについて私が知っている二、三の事柄

エストニアと開発をしていたら、突如オフィスを失い、リモートワークになったCTOの日々のメモです。

日本語と小説

最近は会社をほぼ定時(17:30)であがることができる。それで今日は梅田TowerRecordにてレコードを漁ることにする。Japaneseのコーナーをぐるっと回り、ふ〜む、朋美ちゃん売れているのかと思いながら、洋楽(って死語なのだろうか)のコーナーへ。前から買おうと思っていたNeil YoungのCDをどれにしようかな、と_AFTER THE GOLD RUSH_を手に取る。After the gold rushって何だか、今のどこかの国のようじゃないですか、とタイトル買い。
貧乏性の僕は、最近、本でもCDでも1冊や1枚だと何だか心寂しい。そこでA-B-C-D-と適当に回りながら物色。前に聞かせてもらった robert wyattの新譜、_shleep_ を買うことにする。それで現在のBGMはそいつです。何だか心がホワホワとする、いい作品。_Free Will And Testament_を歌詞カードを見ながら2回聞く。こちらはあまり音楽について詳しくないのだけれど、Wyattさん素敵!一撃で好きになってしまった。wyattさんがだいぶ昔にいたというsoft machineとやらも聞いてみようかな。

帰り際にちょっと考えていたんだけれど、人間の感覚で一番「頼りになる」のってどこだろう?
万物の主、理性とやらがある「頭」が頼りにならないのは、こちらの頭の悪さをさて置いても自明。おまけにこれは感覚ではない。視覚は最近は男と女も見分けられないこともあるし、さいしてかわいいと思わない女の方を後ろから美人と間違えたり、その逆もしかりで信用できない。
味覚はかなりいいところいくけど、これも年によって変わったりする。触覚もなかなか頼りになる。柔らかいだとか堅いだとかいう感覚について、視覚はよく間違えるけど触覚はかなり確か。触れば分かる、あなたの気持ち。耳はどうかな。でも、耳こと聴覚もよく聞き間違えをする。
じゃ、こういうのはどうだろう?間違えた後に、その情報を訂正するのに時間がかかる順で頼りにならないとするのは。

(6) 頭(一生、直らない時がある)
(5)視覚(あばたもエクボである)
(4)味覚(でも、すぐ忘れてしまう、あの味、この味)
(3)聴覚(聞き直せば、数十秒で情報補正か。)
(2)臭覚(臭いものは臭いぞ。)
(1)触覚(つめたい!いや、熱い、だ。数秒。)

 職業別に言えば、一番信頼に足るのはマッサージ師です、(按摩さんは確か放送禁止用語だった。何でだ?)、次に香水の鑑定家、そしてミュージシャン、その次にコックさん、そして画家、最後に思想家や評論家、これが一番信用なりません。ううむ、見事な理論だが、これは「頭」を使った考えだからなぁ。(^^;

最近、ときどき、ひしょさんと時々メール交換など。頭とセンスのいい素敵なお方です。「やっぱり頭のいい方と話すのは面白い」(by スメルジャコフ in カラマーゾフの兄弟)ですか。

最近、収拾つかないぐらい本を買ってしまうのだけれど、とりあえず目の前にある本だけでも。
後藤明生『笑いの方法 〜あるいはニコライ・ゴーゴリ』(福武文庫)、二葉亭四迷浮雲』『平凡/私は懐疑派だ』、大岡昇平『靴の話』『現代小説作法』、本田勝一『日本語の作文技術』、横光利一『愛の挨拶/馬車/純粋小説論』、『新潮日本文学アルバム 伊藤整』、中森明夫、他『新世紀のリアル』、ゲルツェン『過去と思索』、吉本隆明『超資本主義』などなど。
なるほど、どうも「日本語」と「小説」というのに今は興味が向かっているらしい。
こうなりゃ、一切の文学書を行李に入れて、こちらなりの文学論でも書いてみるか。書けるか?いや、書けないだろう。それなら、いっそ、本なんて読むのをやめたらどうだ?