エストニアとリモートワークについて私が知っている二、三の事柄

エストニアと開発をしていたら、突如オフィスを失い、リモートワークになったCTOの日々のメモです。

先月の日記で予告した「禁・日本語生活」を実行することにした。
こんなおかしなことをやるのは、禁煙の影響なのかもしれないが、(いや、間違いなくそれはある(笑))、ひとつは自分の生活における「情報の流れ」というものを変えてみたいという欲求が最近強くなってきたのだ。
僕は今26歳だけど、振り返ってみると、ここ数年の「本」や「映画」の情報ソースがものすごく限られていたような気がするのだ。新刊の書籍にしても、だいたい同じような流れで読んでいて。
で、ニーチェだ、ヘーゲルだ、マルクスだ、 ドゥルーズだと散発的に読みながら、僕の<思想>に対する構えというのが、はたちの時の頃と全く変わってないんじゃないかと思ったのだ。
これは巷でよくあるような頭でっかち現代思想批判なのではない。
そうではなく、僕の思想が「頭でっかち」にすらなっていない、中途半端さを批判するものなのだ。

「それを変えるために何故、外国語?」

という問いには未だ上手く答えられないけど、30を前にして、一度ぐらい、そういう暴挙に出てみてもいいかな、と思ったのである。
そういうわけで、今月10日(月)から、「禁・日本語生活」に入ることにする。
具体的なルールは決めていないけれど、とりあえず、1年はこのルールを守り、洋書100冊読破するまでは「日本語の世界」には戻らない予定である。
さらば、やさしくて美しい日本語。
(#この日記はどうしようか。。。)