エストニアとリモートワークについて私が知っている二、三の事柄

エストニアと開発をしていたら、突如オフィスを失い、リモートワークになったCTOの日々のメモです。

"It's none of your business! Is it? "

「仕事をすること」の後ろめたさについて。

丹生谷(にぶや)貴志は「造成居住区の午後へ」(「死体は窓から投げ捨てよ」(河出書房新社)所収)の中でこう書いている。

「そして自分が社会-組織にすがりついている姿は、恐怖の午後を経過して自分のすがりつこうとしているこの者たちの身振りよりもさらに小心な恐怖のあらわれであるかもしれないことを感じ取るのである。自分たちが毎朝会社-組織へと外出し、この地区を「ベッド・タウン」と呼ぼうとするのは、この地区が「人間」にとっては眠るための夜だけで出来ており、したがってあの午後など存在しないかのように振る舞っているからではないだろうか?そしてついに、自分がすがりついている組織-秩序そのものが居住区の午後の対する恐怖において形成され営まれているかもしれないという事実を感じ取るのである。あの午後への小心でとめどない恐怖の総体・・・・・・。」

「恐怖の午後」とはいささか大げさな言い回しだが、この論文の中で書かれている「新興住宅地」=「造成居住区」の「午後の雰囲気」に関しては、僕は非常によく分かる。
例えば、この夏の午後2時。煙草でも買うために近所のショッピングセンターにでも散歩がてら行こうとする。日差しの強い昼下がりだ。女たちは午前中の家事を終え、子供たちはまだ学校や幼稚園にいるのだろう。どこかの家からピアノが聞こえてくる。あたりは日傘をさしながら歩いていくわずかばかりの女たちと老人たち....。男は郵便配達員でもなければどこにも目にすることができない.....。

造成居住区のそういう雰囲気を想像して次の文章をさらに読み進める......。

「「自然」にはそれ独自の組織-秩序が存在する。「人間」にもおそらく独自の組織-秩序が存在する。しかし「自然」と「人間」の間に、「自然」と「人間」の双方の組織-秩序が破綻する場所がある。ジル・ドゥルーズが大文字で「生 La Vie」と書く場所はおそらくそこにあるだろう。」

これは難しい哲学「論議」などではないことはすぐ分かる。

「その「場所」は、それ自体としては、哲学的概念の森林を彷徨ったり(!)、内面や外界を複雑に周回しなければ見つからぬといったほどに難解な場所ではおそらくない。ちょっとした散歩で足りる。凡庸な場所。たとえば、郊外の造成地を歩いていると、街の区画が途絶え、荒く削られた未整理の造成地帯に出ることがある。(略)その曖昧な、街路が途絶えようとする境界区域にはさらに人間の気配がない。ドゥルーズの言う「生」の場所はおそらくそこに現れるのである。(略)そこは「人間的」秩序が曖昧に破綻し、しかし未だ「自然」的秩序は始まっていない中間領域であるだろう。」

「新興住宅地」の雰囲気と思想をこれほどまでの明確な論文に置き換えられた例を僕は寡聞にして知らない。
そして、この論文はドゥルーズ論としても秀逸だと思うのだけれども、これを「仕事」の話に接続するとどうなるか。

        • 結局、世にいう<仕事>、特にホワイトカラーの<仕事>っていうのは、丹生谷さんの言うような造成居住区に代表されるような<空白>を恐れて作られているようなところがあると思うんだよね。
        • 何それ、<空白>って?それ分からない人には全然分からない説明だわよ。仕事っていうのは、やっぱり「稼ぐ」ためにあるもので、それ以外のモチベーションがないからこそ、仕事っていうのは大変で.....。
        • まぁ、勿論それもあるよ。その「稼ぐ」っていうのも、今のホワイトカラーは「30年後のために<今>働く」という凄いことにもなっているしね。「住宅ローン」「厚生年金」なんてみんなそう。あと「自分のキャリアを考えて」なんてのも同じだよね。「<未来>のために<今>働く」ということになっていることはある..........でも.....。
        • そうなのよね、そういう意味では今の「男たち」って大変かもしれない。その<未来>なんてものも「不確定だ!どうなるか分からない」ってマスコミが騒ぐしね。そんな「幻想の未来」のために、<今>禁欲して働くなんて、何だか、どうにかなっちゃいそうだわね。
        • ほんと、そうでさー........いや、僕が言いたいのはそういうこともあるけど(しかし、世のマスコミはテレビも含めて一旦ぜーんぶ1年間ぐらい休んで頭を冷やして欲しいな。オウム報道あたりから「もういいよ、君たち」と僕はうんざりしている)、このね、「男たちの世界」がね、造成居住区の<空白>を回避して作られているっていうことが、「後ろめたさ」の大きな原因だと言いたいんだ。
        • ????もっと説明してくれなきゃ。
        • うん、丹生谷さんはこの造成居住区の<空白>地帯、「ジル・ドゥルーズが大文字で「生 La Vie」と書く場所」において..........「「文学」は、「哲学」は、「絵画」は、「映画」は・・・・・・同じ錯乱の場所で交錯し、「それぞれの素材において」その表出となろうとする」と書いている。単に造成居住区の<空白>地帯が悪いなんて紋切型で論じているんじゃないんだ。
        • ????何か、ほんとによく分からなくなってきたんだけど。
        • その空白地帯で滞留=散歩しながら営むことが全ての<文化>の始まりなんだろうけど......だから.......少なくとも「会社」社会では、「文学」も「哲学」も「絵画」も「哲学」も生まれないだろうね。それは別に時間的制約などの問題じゃないて、根本的な<場>の問題なんだよ。
        • なるほど、分かったような分からないような......
        • うん、僕もちょっと説明が性急だと思っている(笑)。でもね、この「昼下がりの時間感覚」っていうのかな、僕が小さい時から考えているのはそういうことばっかりだったような気が最近してるんだなぁ。
        • それはそうと、あんたの日記を読むと、この1年、延々「仕事の話」をしているのがすごいわよね。1年間プータローをしてもっと楽しいこともあっただろうに。
        • ほんとに楽しいことはWebには書かないんだよ(笑)。幸福な時間っていうのはどれも凡庸で人様には見せられませんよ(笑)。
        • 何言ってんだかね(笑)。くだらない冗談言ってないで、次、次!

(続きは次回以降)