「死で終わるものはぜんぶ無駄」
最近、少し著名であろうスリランカ初期仏教長老、アルボムッレ・スマナサーラの『有意義な生き方』(サンガ)より。
有意義な生き方―幸福に生きるとは? (お釈迦さまが教えたこと)
- 作者: アルボムッレスマナサーラ,Alubomulle Sumanasara
- 出版社/メーカー: サンガ
- 発売日: 2006/12/01
- メディア: 単行本
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「無駄なく生きるために」と題された章からの引用である。
死で終わるものは全部無駄
仏教が特別に説く無駄もあります。それは俗世間的な財産・健康・長寿・知識・権力などです。これらは死で終わるものなので、そればかり目指す人生は仏教から見れば無駄です。
俗世間の人々は、権力のために、財産を獲得するために、知識を得るために、健康で長生きをするためにがんばっているでしょう?あれは全部無駄です。なぜならば死で終わるからです。
死後のために蓄積できるものは何もありません。ですから、子供のときから老人になるまで、「心を育てる」ということをしなくてはなりません。長寿に挑戦するのではなく、心を育てることに挑戦するのです。
37になってみれば、このことは正しいのだと実感する。経験や財産を得るために、会社経営などもしてみたのだが、そのこと自身には何の意味もない。
もし意味があるのだとすれば、そういうことに「意味はない」ということを体験として分かった、ということでは大きいかもしれない。
また、下記のような「知識」に関することも、今は本当だと思える。
また、知識というものはそれほど立派なものではありません。知識は「収入を得たいという欲」と「知りたいという欲」を満たすためのものです。知識の無駄をなくすためには、その知識を活かして理性を育てるべきです。
内田樹さんの言葉に「何でも知ってる馬鹿がいる」というのがあるらしいが、「知識」など、人生の幸せには微塵の役にも立たない。そう、今なら断言できる。
ですから、勉強した知識を活かして理性を育てるのがよいでしょう。理性は徳なのです。知識は、「すべては無常」という事実、すなわち因果法則を発見するために使用しましょう。知識を活かせば、お釈迦様がおっしゃった現象論や無常の意味がよくわかります。だったら、ただ単に科学を勉強するのではなくて、そこから無常を発見するのはどうですか?そうすると無駄はないのです。
40近くして宗教か?
いや、それが事実であるということがようやく分かりつつあるということなのです。