哲学を学ぼうと思った理由
仏教の修行では、よく「言葉を使わない」ということを重視する。
これは言葉=概念を使うことによって、妄想(本当はそうではないこと)を出てきてしまうのを抑えるためでもある。
仏教的に言えば、一般の私たちの考える、その全てが妄想(あべこべ)なのだが...
ところで、私は大学時代に西洋哲学を専攻として学んだものだが、その時の理由というのは「本当は<考える>なんてことは面倒でしたくない。したくないので、<考えるべきことは考えてしまい、あとは何も考えずに生きていきたい>」というものだったことを思い出した。
最初に仏教に触れておけば、最初から考えなくてよかったのだろうか、と半分冗談のように考えた。